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2016年8月30日火曜日

1945年8月30日、厚木飛行場にGHQのダグラス・マッカーサー元帥が初めて日本人の前に現れました。
よく教科書などで見る、サングラスをかけコーンパイプを口にくわえた、あの姿でです。
誰もが知っているマッカーサー元帥ですが、実際はどのような人物だったのでしょうか?

8月15日の昭和天皇による玉音放送をもってポツダム宣言受諾を表明し、日本は大東亜戦争に敗北・戦争が終結しました。
これをもち、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ) のダグラス・マッカーサーが日本に進駐してきたのが8月30日です。
マッカーサーは皇居を見下ろす6階に執務室を設け、日本の占領政策に着手しました。

その年の9月27日、敗戦国の国王となった昭和天皇は、敵将マッカーサーに会うためアメリカ大使館公邸を訪れました。
しかし公邸の玄関で出迎えたのは、マッカーサーではなく、わずか2人の副官だけだったといいます。
このことからも、マッカーサーは昭和天皇のことをいかに軽視していたかが分かります。

しかし昭和天皇のこの言葉がマッカーサーの態度を改めさせたといいます。
 「私は日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。
また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。
自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」

昭和天皇が命乞いにくるのと考えていたマッカーサーには衝撃的だったといいます。
自らの命と引き換えに、自国民を救おうとした国王が、歴史上あっただろうか・・・。
明らかに天皇に帰すべきではない責任までも引き受けようとされた昭和天皇の勇気に満ちた態度。
その瞬間マッカーサーは、眼前にいる天皇が「個人の資格においても日本における最高の紳士である」と思ったそうです。

「かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申し上げたい」
とマッカーサーは立ち上がり昭和天皇の前へ進み、抱きつかんばかりに天皇の手を握りしめたそうです。
わずか37分間の会見で、マッカーサーの昭和天皇に対する態度は全く変わっていました。

会見前はふん反りかえっているよな態度をとっていたマッカーサーが、会見後には昭和天皇のやや斜め後ろを歩くような敬虔で柔和な態度で会場から出て来たといいます。
会見後予定を変更して、自ら昭和天皇を玄関まで見送ったということから、マッカーサーはとても柔軟で素直な性格の持ち主だったのかもしれません。


<今日の昼食紹介>

梅そうめん
いんげんの肉巻
チンゲン菜の和え物
コーヒー寒天
ヤクルト









梅肉と揚げ玉がたっぷりのそうめん☆酸味がつゆとよく合い、食欲を刺激するおいしさです♪
いんげんを肉で巻いた肉巻は、シャキシャキとした食感が好評でした(^u^)
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